脱税、各国の現状(大橋直久・司法リサーチセンター)=1985年7月15日

大橋直久・司法リサーチセンターが、各国の脱税や税務調査の現状についてまとめました。

イタリア

緊急措置令で締めつけ強化

イタリアの脱税は先進国中でトップクラスといわれる。経済専門紙によると、1983年の脱税額は36兆リラ(約4兆8000億円)にのぼるという。今年度予算の税収見積もりが166兆リラだから、まさに国家財政をおびやかす規模だ。一方では、公式の統計に出てこないヤミの“地下経済”は、国民総生産(GNP)の20%に相当するだろうとの推測もある。

ビゼンチーニ法制定

財政赤字に悩むクラクシ内閣は、脱税防止に本気で取り組み始めた。1984年、自由業、自営業者らを対象に緊急暫定措置令を官報告示したのが口火だ。これに対し圧力団体が国会議員をつきあげて抵抗したため、いくつかの修正を重ねたが、1984年2月やっと可決され、法律になった。財務大臣の名をかぶせて通称「ビゼンチーニ法」。

商店、中小企業経営者、医師、弁護士

法律で狙われた商店、中小企業経営者、医師、弁護士らは、これまで所得ごまかしの常連とされてきた。源泉徴収のサラリーマンたちと違い、収入の捕捉(ほそく)がむずかしいという事情は、日本と余りかわらない。町で買い物をして領収書を要求しても「手間がかかる」と渋って、なかなか応じてくれないことが多い。こうして売り上げをできるだけ少なく見せかける結果、常識では考えにくい過少申告が続出した。

1カ月当たりわずか所得申告11万円

たとえば1984年、商店主で年間1000万リラ(約130万円)以下の所得申告が76%も占めた。1カ月当たりわずか11万円といったところだ。医師も年間1000万リラ以下が24%、1000万リラから3000万リラが50%という有りさま。これでは他の職種との不公平がひどすぎるというのが、ビゼンチーニ法制定のきっかけとなった。

簡易記帳の対象者(白色申告)

その内容はかなり複雑だが、おおまかにいえば(1)簡易記帳の対象者(白色申告)には、業種ごとにあらかじめ個人所得税や付加価値税の係数を決めておく(2)営業規模、場所、エネルギー消費量などいくつかの指標にもとづいて当然あるべき収入見積もりを設定し、あまりにも低すぎる申告に対して適用する--というのがポイントだ。罰則が強化され、悪質なごまかし申告に対しては6カ月から5年の懲役および500万から1000万リラの罰金を科すことができるようになった。

一斉脱税調査

この法律が実際に適用されるのは、1985年の所得を申告する1986年になる。だが財務警察は適用に先立ってこのところ、大都市を中心に一斉脱税調査を繰り返し、締めつけを強化している。

イギリス

技能職に多い所得隠し工作
悪質ケースには刑事罰

英国中部のウェストヨークシャー州にある塗装・室内装飾会社を首になったマーク・ハイランドさんは、会社側を相手に「不当解雇」の損害賠償請求の訴えを起こした。しかし、この裁判で英高等法院が6月27日に出した判決は、ハイランドさんにとって、ヤブヘビになった。ハイランドさんが会社側と示し合わせて、所得税のかからないヤミ手当を受け取っていた事実を指摘し、判決は「違法な給与支給を盛り込んだ雇用契約そのものが無効だ」と、訴えを退けた。

自宅通勤なのに下宿手当

ハイランドさんは、自宅通勤にもかかわらず、下宿手当を会社側から受け取っていた、という。こうした脱税事件は英国でも「氷山の一角」にすぎない。

国税庁

話はやや古くなるが、日本の国税庁に当たる内国歳入庁が1980年の年次報告書の中に「ブラックエコノミー(地下経済)」と題する特別な章を設け、神のみぞ知る脱税の実態に迫ることを試みた。それによると、個人、企業を問わず、申告されていない課税所得は国内総生産(GDP)の約7%に当たり、その脱税額は年間30億-35億ポンド、日本円に換算すると1兆円前後に達する、と推定された。

過少申告

脱税の手口は、2種類に大別されている。1つが税金の過少申告。具体例として挙げられたのは、ブタの飼育業者がふろ場に金メッキ製の蛇口をつくり、そのカネを飼育小屋の費用として申告したケースである。

パートの申告

もう1つは、所得そのものを隠す。過去の実績から見ると、技能職種、例えば配管、室内装飾、自動車修理などに従事するサラリーマンが会社の仕事とは別に、注文を取って稼ぐケースが多い。さらに、失業手当をもらっている人も含めて、バーやガソリンスタンドでのパート労働による所得も申告されることは少ない。

競走馬やヨットの所有者ら金持ちに照準

ローソン蔵相は今年2月、競走馬やヨットの所有者ら金持ちに照準を合わせた脱税摘発作戦に乗り出した。そのために、脱税Gメンの数を公務員の定員削減にもかかわらず、今後増やしていく方針を明らかにした。「紳士の国」イギリスでも、やはり脱税が後を絶たないことを物語っている。

最長2年の懲役刑

英国では、納税額をめぐって納税者と税務当局との意見が対立した場合、その争いは地方租税審判所、さらには裁判所に持ち込まれる。その際、所得隠しの事実がわかれば、最高で脱税額の2倍プラス50ポンドと延滞利子を払わなければならない。これは本来納めるべき税金とは別のペナルティーだ。悪質なケースに対しては、刑事罰が科される。判例によれば、最長2年の懲役刑が待っている。(大橋直久

日本

ソフト悪用にメス

国税庁は最近開いた全国直税部長会議で、パーソナルコンピューターやオフィスコンピューターを使った脱税の手口をくわしく紹介した。税務調査を強化するよう指示したのはもちろんだが、コンピューターやソフトの専門知識を持った調査官の養成に力を入れることを決めた。

「ポン、ポン」とパソコンのキーボードがたたかれる。ブラウン管に表示された売り上げ、利益、法人税などの数字が思うままに変化する。修正を加えた新しい損益計算書や貸借対照表がたちどころにプリントされる。すべての数字はつじつまが合い、どこをどう修正したのか、外部の者には全く分からなくなる。

国税庁法人税課

日本の企業や会計事務所では、パソコンやオフコンを使ったコンピューター会計が大はやり。パソコンなら50-60万円、オフコンでも200万円前後で買える。経理用ソフトウエアは性能に応じて5万円から30万円程度。省力化ブームに乗って、大企業だけでなく、中小、零細企業まで普及しつつある。「ソフトを開発、販売する会社は、ベンチャービジネスも含め2000社ぐらいあるのでは」(国税庁法人税課)という繁盛ぶりだ。

記帳ミス

数あるソフトの中で、ベストセラーといわれる定価20万円のあるソフトの宣伝パンフレットは「過去の取引データの追加、修正、削除が簡単」とうたっている。企業側にすれば、記帳ミスの間違いが見つかれば、直すのは当然だが、この宣伝文句から脱税を連想するのは容易だ。

税務署
請求書や納品書、領収書の保管義務

こうしたソフトは「脱税ソフト」として、国会でも時折、問題になっているが、日本の法律は全く無力だ。西独や米国と異なり、日本は実際に取引があったことの証拠となる請求書や納品書、領収書などの保管を義務づけていない。だから税務署はコンピューターに入力されたデータが正しいかどうか、逆上ってチェックすることができない。また、欧米では取引内容の記載は、現金取引なら即日に、また振替取引なら翌月末までに完了するよう定めている。日本のように決算期になって何カ月も前のデータの修正が認められているのは先進国では珍しい。

自民党税制調査会

国税庁の調査強化に対応するように、自民党税制調査会もソフト規制案の検討を始めた。わが国の法人170万社のうち53%が赤字で、法人税を一文も払わないまま何年も経営を続けられる、という異常な実態の陰に、ソフトを脱税に利用する動きが広がっている、とにらんでいるからだ。

赤字でも「総収入金額報告書
所得300万円超なら取引を簡易記帳

この問題に限らず、日本の税法は全体に脱税行為に甘い。1984年度(昭和59年)の所得税法改正で、(1)個人事業者は収入が年間5000万円を超える場合は、事業が赤字であっても「総収入金額報告書」を税務署に提出する(2)所得金額が300万円を超える場合は、取引内容を簡易記帳する、の2点を義務づけた。

記帳義務は欧米では常識とされ、記帳を怠たったり、ウソの記載に対しては厳しい罰則が待ち受けているのは、紹介した通りだ。わが国には罰則はない。この税法改正にあたって、「自民党税調を通らない」とみた大蔵省が、自ら罰則規定を見送った経緯がある。しかも、大蔵省の原案は、報告書は年収3000万円超、簡易記帳は所得200万円超だったが、自民党税調の手で一段と甘くされてしまった。

執行猶予のつかない実刑判決も

とはいえ、個人事業者や法人の脱税に対する世間の目は年々厳しくなっている。それを象徴するように、脱税事件の1審判決で、執行猶予のつかない実刑判決の出るケースが年々増えている。1975年-1979年(昭和50-54年)にはゼロだったが、昨年は6件、今年もすでに4件。実刑判決はこれまで前科のある悪質犯に限られていたが、昨年は初犯で実刑というケースが初めて生まれた。